独 り 天 気 の 子
え、あの純愛映画を一人で⁉→できらあ‼
ということで独りで天気の子を観てきました。
自分の好きな雲や空を題材にした映画なので前から観たいと思ってました。
天気の子というと晴れやかな清々しいイメージですが、
独りと付けるだけで禍々しい忌み子、ホラー映画のような雰囲気に変容しますね。
どうせラピュタみたいに女の子が空から落ちてくる物語だろと斜に構えていましたが、
映画自体は唐突に拳銃を拾って発砲するなど突拍子がない以外は、
映像も音楽もきれいで純粋な感じでよかったです。
私はコナンの映画を冒頭五分で「この建物は爆発し人工衛星が蘭姉ちゃんにピンポイントで落ちてくる」まで当てた男ですが、天気の子は空から落ちてきませんでした。マックにいました。
音楽が良くて、特に主題歌を歌っている三浦透子さんにハマったので出会えて良かったです。
グランドエスケープの「僕らの恋が言う、声が言う、行けという」というフレーズは、
研究室で後輩に仕事を押し付けるのに使えそうです。
内容については、穢れた大人が独りで観に行くものではないですね。
純粋な高校生くらいの時に観たかったです。
なんだこの甘酸っぺぇ物語は⁉(そんなものあるわけねえだろ)
という気持ちが邪魔して楽しむことができないからです。
特に、純粋な物語すぎるからか、自分は共感性羞恥が発生して
まともにスクリーンを見ることができませんでした。
歯の浮くようなナレーションも全くダメで、
何小っ恥ずかしいこと言ってんだ、と
心の中で山形弁で突っ込むことで歯の浮くような雰囲気を中和していました。
でもよく考えたら、この場合、私は誰に共感して羞恥を感じているんですかね?
物語の主人公は恥ずかしいと感じていないわけですし。
謎です。これってトリビアの種になりませんかね?
この文章を書きながら考えたところ、
多分歯の浮くようなセリフを言っている声優さんに共感して羞恥を感じているんだと思います。
登場人物どころか、演者さんにまで共感して羞恥できる私って、
とても思慮深い人物なんですね。穢れてませんでした。
でも待ってください。
私のような思慮深い純粋な人間は、天気の子のような純粋な物語には
共感性羞恥が発生し楽しむことができません。
一方で、他人に共感できない人間の屑は共感性羞恥が起こりませんが、
屑であるために純粋な物語を楽しむことができません。
つまり、天気の子を楽しめる人間はいないのではないでしょうか。
例外があるとすれば、過去に純粋な恋愛を経験してきて天気の子の物語に共感できるが、
今は屑になった人間、くらいでしょうか。
天気の子を絶賛する人に対しては、私はそういう評価をすることにします。
自己正当化兼言葉遊びも無事済んだことだし三浦透子さんの曲を聴いて寝ます。
おやすみなさい。
大沼